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皇室ゆかりの地めぐり その1

あるセミナーで

「女性が今後もっと活躍してほしい」

「女性だったら一度は初代女性天皇のお墓参りぐらい行った方がいい」

言われたことを思い出し

よし!

令和の時代がやってくる

皇室ゆかりの地を巡ってみよう

大阪の太子町へやってきました!

なんとのどかな所で

何もない感じですねー

推古天皇陵と石碑があります!

この坂を登ってみると

ありました!

宮内庁管轄です。

中に入れないですし

お参りできる感じではないですが

ここに来れて良かった!

なんだか

神々しい気持ちです!

ちょっとここで豆知識!

推古天皇ってどんな人だったのでしょうか?

旦那さんは敏達天皇です。

早くにご崩御されたあと

弟の泊瀬部皇子がそのあと崇峻天皇となりますが

あっという間に暗殺されてしまうのです。

この頃は蘇我馬子と蝦夷(えみし)親子が

権勢を振るっていましたね!

これです!これ

馬子のお墓と言われている

日本最大級の横穴式石室

奈良の石舞台古墳!

教科書に載ってましたが

今も習いますか?

お墓を見ても豪族の中でも

相当な権力だったと分かりますね。

それでお話が戻り

飛鳥時代に権勢を意のままにする蘇我氏。

馬子と額田部皇女(推古天皇)は叔父と姪

馬子と厩戸皇子(聖徳太子)は婿とお舅

と密接な関係です

天皇と摂政を身内で固めるほど

豪族として勢いがあったのですね!

結果的には

後の大化の改新を引き起こし

蘇我氏の本家は滅亡させられます。

蘇我氏の思惑はどうあれ

この推古天皇と聖徳太子の

摂政政治は大変うまくいき

★国内政策では17条憲法

安部首相がよく使われる

★「和をもって尊しとなし」ですね。

そして

★「篤く三法を敬へ。」

今の世界最大の仏教国へ進み

★冠位十二階では今の官僚制度のような

身分を改めたんですね。

要は豪族の世襲ではなく

個人の能力を階級別にした

天皇主権の中央集権国家の基礎を作ったわけです。

★また外交も小野妹子の遣隋使派遣に

「日出る処の天子、書を日没す処の天子にいたす」

と書簡を持たせ

アジア大陸1の中国の隋皇帝に対して

「日が昇る国の天子から日が沈む国の天子へ」

と強気な姿勢のお手紙を出し

隋の皇帝を激怒させたことが

有名なエピソードです!

推古天皇と聖徳太子のコンビは

すごい政治力でこの国の基礎を作り固めていったということです。

私、実は厩戸皇子好きなんです。

不朽の名作

山岸涼子さんのこの漫画

私の愛読書でした!

このように

日本初の女帝、推古天皇は

甥っ子を摂政に立てたことで

巧みに国の大きな礎を作ったのです。

いつの時代も大きなターニングポイントには

女性が関わっているのです。

推古天皇陵へ参ったことで

令和の新時代を清々しい気持ちで

迎えれそうです!

私、歴女でしょうか?

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